昭和42年3月24日 朝の御理解



 神様のお心として生活をさして頂く、生きていくということ。それがそのまま、信心生活だという風に思いますが、為に神様の心が分からければならない。神様の心を心として、生きていくということは、どういうようなことか言うと。成り行きに逆らわず、成り行きを大事に尊ばせて頂くという事だと思うんです。それが、神様の心を心としてと、例えば、親の心を心として行く人を、私は孝行な人だとこう思います。
 親の心に逆らわない。親が右と言えば左。左と言えば右と。言う事をきかん。これは親の心を心としてないのです。信心も、やはり天地の親神様の心を心として。その為に、やはり、天地の心を知らなければならん。ところが、私共の日常生活の中に、どうしても、神様の心が分からんという事がある、どうしても神様の思いが分からん。神様の御神意、ご都合はどこにあるのだろう。
 神様の思いが、どこにおありになるのであろうかと思わせて頂くようなことがございます。不如意な時、自分の思うようにならない時、又は、難儀と難儀を感じるような時。本当に、これだけ一心に、おすがりさせて頂いておるのに、神様の思いが分からない。神様の心が分からないという様な時がございますけれども。そういう時に、いよいよ、神様の思いを分からして下さい。
 神様の思いを分からして下さいという、そこからです。ほんぜんとして開けてくるものがあるのです。私共が、信心を頂かせて頂くようになって、私が、ちょうど、北京に10年、北支におりましたが、その前の前の年だったでしょうかね。私の弟が応召を受けましてから、終戦まで、終戦の年の、終戦が8月15日でございますから。7月の30日に戦死致しております。
 もう15日間、もう15日間、生き延ばしのおかげを頂いとりゃ、無事に、みんなと一緒に引き揚げが出来ておったのに。たった15日ぐらいのこと、神様なんとかならなかったでしょうかと。もうその為に、というてよいぐらいに、家族中の者があげておすがりしておった訳なんです。私も、引き揚げて帰って来たら、弟と会えるんだという楽しみで帰って来たんです。
 所が引き揚げて参りまして間もなくあったのは、戦死の公報でございました。それこそ目も当てられないという状態でございました。そういう時にですもう神も仏もあるもんか、と言うて信心を止めた人も随分ございましょう。日本を神国なんて言うけれども、なにが神国がともう神も仏もあるものかといった時代がございました。混乱時代ですけれども、私はどこにご神意があるか、どこに神様の思いがあるのか。
 それが知りたい。私はそう思うたんです。もう母なんかは、公報を受けた時などは、ご神前に、やはり信心を頂いとりますと、嬉しいにつけ悲しいにつけ、やっぱり、集まるのはご神前でございます。家族の者が、期せずしてご神前に集まって、何ももの言わずに、ただ、ご神前に座って、銘々の心を神様に打ち向けて、とにかくご祈念をさせて頂きました。母なんかはもう、今の椛目にお祭りしております。
あのお社がございましたが、もうお社を、それこそしがみっいてガタガタ言わせました。神様15日間もう後15日間、なんとかなりませんでしたかという訳なんです。私共もやっぱ、そう思いました思うのは。もうつう一杯例えば、お国のご用をさせて頂いて、後15日になって戦死。もう本当に聞こえませんというところでございますけれども。そういうところをです私共は、私は大事にして参りました。
 第一そこは有り難く頂けなかったですけれども、どうかその神様の心が知りたい。そんな気持ちでした。昔のお徳を受けられた先生方は、神様から直接こういう理由ぞああいう理由ぞと言うように、お知らせを頃かれお知らせでも頂いたら、心の胸がいわゆる心が晴れるだろう。それでも毎日善導寺にお日参りさして頂いとりましたから。お参りさせて頂きましたら、ある日親先生が今日からご本部参拝するもんのと。
 あんたどげなふうかと。そしたらそんなら私もお供をさして頂こうと言うて、お供をさせて頂くようになってから、私は毎月親先生のお供をしてお月参りを始めました。そのお月参りの時でございました。私の心の中にどうでも今度ご本部参拝をさせて頂いて、神様から直接お前の弟が亡くなったのは、こういう様な訳であったのだぞと言う意味の答えを頂きたいという、その願いをもったんです。
 もう一生懸命でした。控え所に一泊さして頂きましたが、一晩中奥城に教祖の神様のお墓です。その奥城の前に石段の前に座らせて頂いてから、もう一晩中御祈念をさせて貰いました。大祓いを上げては拝み上げては拝み、そしてどうぞ神様にもしお心があるとするならば、その心を分からせて頂きたいと願いました。けども不徳の私に神の声を聞くことも、神のお知らせを頂くことも出来ませんでした。
 やっぱりあれは昔の先生方の、いうなら専売特許のようなもので、私共現代の者には、もう、ああいう事は頂けんものだと私は思いました。心はもういよいよ沈んでいくばかりでございます。もう帰りの時間になりましたから親先生の鞄を提げて、親先生が先頭に立たれて、あちらにお参りなった方はご承知でございましょうけれども。久留米の控え所からこう降りて石段の前あたりに、こう参ってくる。
 下り坂のところを下って参りますところを、親先生が前に進まれて、私が後ろで鞄を提げておる時に、親先生が「大坪さん何かお土産がでけたか」とこう言われた。そん時に私は、とっさに「はいお土産が出来ました」とこう言うた途端でございましたですね。もう本当に途端でした。私の心の中にですね、何と言うて表現してよいか分からんけど、何か千万金のものがどんとこう私の心の中に、響いてくるという感じでした。
 もう瞬時でしたね。もうそれからですね。ありがとうなってきたんです。何かしらんけども、道を歩いておっても駅におってももう有難うして、有難うしてたまらんのです。あの時分は、引き揚げの兵隊さん達で、各駅で三々五々降りられないとこはございませんでした。大きな荷物をかろうて、いわゆる戦地から復員して帰ってみえる軍人さん達でいっぱいでした。
 駅にはどこも5人6人の兵隊さん達が、復員の軍人さん達がたむろしておりました。いわゆるちょうど京都行が参りました、その京都行きから7~8人ぐらいの復員の軍人さん達が金光駅に降り立って参りました。行きかけに本当に戦死の公報を受けておりますけれどもやっぱり万が一間違いということもある。やっぱりあの復員の軍人さんの中に、自分の弟が入ってどんおらんじゃろうかというようなですね気持ちがするんです。
 そういう気持ちで一杯であった私の心の中にですね。その復員して帰ってみえる、金光駅で降りられるその人達にですね。本当に兵隊さんすみませんでした。兵隊さんすみませんでした。御苦労様でした何年間の間、御苦労様でした、日本はこういう敗戦の姿で本当にあなた方に御苦労様という人達もございませんですけれども、本当に兵隊さん御苦労様でしたと。口には言わんけれどもそういう感謝の思いでいっぱいでした。
 もう心がお繰り合わせを頂くということは、こういうことだと私は思うたです。汽車に乗りました。ちょうど稲穂がこの2、3尺ぐらいに伸びる。まだ穂が出る前の時分でございました。もう車窓から見るその青々とした青田を見ておるとです、もうとにかくそれが喜びなんです。もうどうにも出来んほどに有難い涙が湧いてくるのです。あの時分はもう混乱時代ですから汽車の窓から、人が乗り降りするという様な時代でした。
 場所がありますと私はすぐ立って人に譲りました。もうそれを譲らせて頂くということがもう有難うして有難うして応えなかった。目をつぶればアリ型涙が流れました。そして私は思うたんですね。本当にお徳というのはこういう様なものであろうかと、私はあの時思いました。私は一晩中一生懸命、奥城でご祈念をさせて頂きましたけれども、神の声はそれこそかの字も聞かなかったけれども。
 ただ私の心の中に訳は分からんけれども、今まで悲しかったのが、有難いものに切り替えられたということ。何を見ても聞いても有難いというもの。私は以来ご本部の月参りを怠ったことはございませんでした。どういう難儀な中にあっても、御本部に月参りだけは致しました。いわゆる、神の心は分からなかったに致しましても、神の心に添うたのです。人間氏子の、凡夫のことであるから分からん。
 成程お前が言うのも無理はないことだ。たった一人のその弟を。しかも終戦15日前に亡くなるという様なことなんだから。お前がそこの訳を知りたいのも分かるのだけれど。神は、こういうような事情、こういうような訳ありもあるのだと言う事を、その時には、お知らせを下さることは出来なかった。それはどういう事かというと、現在今日、こういう様な事になってくる事の為でもあったのです。
 ですからその事はお知らせは頃かなかったけれども、私の心の中にいうならば裏になってでも泣きたいような気持ちが、ありかた涙に変わってくるように、おかげを受けたことだけは事実だったんです。ですからそう言う様な問題に直面した時です、もう神も私もあるものかと、これだけお参りしとるのにと言った様な事ではなくてです。神の心を知りたい神の心があるならば、その心を分からして頂きたいと願うその心がです。
 私は神の心に添うていく生き方だと。今日は私共8時半から、小倉へ参拝のおかげを頂きます。総代さんそれから秋永先生方4~5人自動車2台に分乗致しましてから、善導寺の親先生のお共をして参るのです。親先生が今度久留米の兼務教会長の命を受けられました。久留米の教会長と善導寺の教会長を兼務されることになったんです。為に福岡の教会、小倉それから御本部と、その新任のご挨拶においでられるのです。
 23日に行こうと、以前は言うておられましたけれども、先生のご都合で24日と言うことになりました。ですから教務所の方に、ここの私のこと又ここの布教所のことについてのお礼も通して、親先生がおいでられなければなりません。ここからも勿論ついて行かなければなりませんので、まぁ参る事になりましたが、帰りに私共は飯塚に回って、飯塚にお礼に参りたい。
 飯塚の先生にも大変おご苦労かけておりましたし、検定試験の時にいち速くご本部から電報下さったのは、大久保先生でもございました。ですからそういう意味でお礼参拝もさして頂きたいと帰りに思うております。ですがですそういう様なことでもこういうことは椛目の場合、日々がそうなんでございますけどもどうでしょう。23日親先生おいでになるというのは、昨日御霊様の祭りに支障があるのです
 。初めの間はご本部から帰ってくる時間が分かっとるから、あちらで落ち会おうとこう言うておられました。もし落ち会っていたら帰りに飯塚に親先生を連れて行く訳には参りません。もう本当に万事万端が言うならば、置いたものを取るような万事万端の上に、ご都合お繰り合わせを頂かせて頂いておると言う様な事がです。いわゆるタイミングよう、日々おかげを受けておるということがです。
 私は神の心を心としての生き方をさせて頂き、神の心を分からんでも、その神の心に添いたいという願いをもって、私共が日々信心生活をさして頂いておるところから、こうした素晴らしい神様のお繰り合わせの中におかげを蒙っていくことが出来るんだと、こう思うのですよ。皆さんもやはりそういうおかげを頂きたいのです。金が要るときには金。物が要るときには物。
 どこに参りますでも、何とも言えんタイミングの中に、お繰り合わせ頂きたいと願わん者はございますまい。そんなら、それをどうぞ、そげんありますようにと言うて、願うただけではいけないと言うこと。常に、私共の心の中に、分からして貰わなければならんことはです、本当に神の思いを思いとして、神の心を心としての生き方、生活が、させて頂かなければならないということをです。
 願う心をもって生活させて頂くことだ。そこに神様の、素晴らしきタイミング、素晴らしきお繰り合わせの中に、日々を、いわゆる、我が身は神徳の中に生かされてあると仰るように、なるほど、神様のご守護、神様のお守りの中にあるんだなぁという実感の中に、有り難い、勿体ないという生活が出来るようになるんだと思います。
 どうぞ、皆さん。信心とは神の心を心としてという前に、神の心を分かろうと努めなければなりません。神様の思いを分からせて貰い、その神様の思いに添い奉らして頂くところの生活にならせて頂くということが、人間、真実、幸福にならして頂くところの土台になるのだと、私は、確信いたしております。
   どうぞ。